HISTORY

誕生経緯と建物の紹介

羽田界隈は漁港として栄えていたころの面影を残し、町工場が点在し都心とはまた違うのんびりとした雰囲気が漂います。

1957年、20代だった祖父母が購入したのが木造の平屋一軒家でした。70年近い歴史の中で貸し家や新婚当時の私の両親の住居にもなりましたがこの30年は家族の物置でした。そんな祖母は90代。建物の老朽化は進み、長いこと家財道具や段ボールの詰めこまれた埃と重たすぎる過去の産物の墓場のような空間でした。

古い家は壊すしかない、改装しても価値はない。そんな「思い込み」をどこかに置き、新たな目線でみると、風情ある「昭和の建物」に文化的価値と愛着を感じました。壊すのは簡単ですがこの家を守り、もう一度命を吹き込んでみたいと思いました。

庭には柿、柚子、金柑、椿、祖母の植えた様々な植物が四季折々に沢山の花や実を結びます。「家を引き継ぎ、歴史を繋ぐ」そんな想いで2018年11月に動き始め、着工は2019年2月。設計士さんと相談しながら残せる部分は残しつつ、新しいものを加えました。最後の仕上げは自分や友人の力を借りて、DIYしながら完成に近づけました。そして令和元年6月、昔ながらの雰囲気に現代的な要素が融合したYOICHIが再び産声をあげたのです。

DIY・解体の記録

オーナーの想い

街に好きなご飯屋さん、パン屋さん、馴染みの商店街、挨拶できるご近所さんがいる。シンプルでもこういう繋がりが生まれると心地よく暮らしていけ、日々が豊かになっていくと思います。

祖母のように昔からの住人、新たな住人、通勤者、短期滞在者、旅行者。接点のない人が繋がれたら、新たな出会いや発見が生まれるかもしれない。そんな交流の生まれる風通しのよい場所を作りたいという想いが根本にありました。

YOICHIの由来は台湾の「夜市」。縁日のような、色々なお店や人が交わるパワフルでワクワクする場所をイメージしました。そして「与市」の与の意味は味方、仲間になる、助け合う、認める、許す、与える、相手のためになるものを提供する、と広い意味があるので採用しました。漢字にしてしまうと意味が限定されるので、表記は色々な想像を膨らませられるローマ字とカタカナです。

人が集まり、仲間となり、街全体でステップを踏み出せたらいいな、というメッセージを込めました。

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